内製化支援

2018年02月24日

代表の鈴木史郎です。 朝会で話している内容を一部公開していきます。 今日は色々と質問の多い、 「内製化支援」 についてお話したいと思います。 まだまだ構想段階なのでブレるかもしれませんよ。 良品低価格なシステムを挑戦者に届けるのが私たちのミッションです。 そのために開発のプロセスを磨いてわけです。 しかし、これらは初期開発に限定のことであり、 お客様に最適な運用はいかがなものでしょうか? その一つの方法が内製化支援です。 お客様の内部にシステム開発部隊を立ち上げるのを支援するわけです。 軽微な修正なデータパッチなどはお客様自身で実施していただく。 コスト的にもスピード的にも最適です。 では、その形をどうやってつくるのか? それは初期開発時点からお客様の担当者様に開発にジョインしていただいて一緒に開発する。 必要に応じて採用までお手伝いする。 私たちが当たり前にやっているような仕事のほとんどは他から見れば全くわけのわからない世界。 なのでお客様自身で立ち上げるのは極めて難しいことです。 大規模改修などはまた私達に声をかけていただいて一緒にやります。 そもそも鈴木商店は運用で儲けようとしてませんし、私達の視点で見れば、いつまでも古いシステムを面倒見なくてすみます。 まさにウィンウィンのサービス、これが内製化支援です。 ... 続きを読む

スナック青井

2018年02月24日

代表の鈴木史郎です。 朝会で話している内容を一部公開していきます。 今日は青井ちゃんからリクエストのあった、 「スナック青井」 についてお話したいと思います。 キッカケはとあるお客さんの社員バーに招待いただいた時。 お洒落さ、ラグジュアリー感は0の古びた元スナック。おばあさんが一人で運営されていてる。 キープされているボトルを見ると、役員の名前から平社員の名前まで区別することなく並んでいていた。 その時にコレいい!と思ってはじめたのがキッカケです。 仕事終わりの飲みとなると、お金もかかるし、行くグループも限られてくる。 なので、仕事帰りにさらっと集まれて、普段会話しない人と話ができる場がスナック青井です。 少し話はズレますが、飲み会って必要?という議論もあるかと思います。 俺は大切だと思っています。 人間関係において、事実だけでなく、その背景を知ることが大切だと思います。 この前、大阪証券取引所の勉強会で面白い話がありました。 「コンテンツとコンテキスト」 コンテンツは事実、コンテキストは背景とかストーリーとか言う意味だそうです。 例えば、大学生にキャバクラでバイトしていると聞くのと、キャバクラで大学に通っているというのとでは受ける印象が違うという例でした。 大学生に聞くと「けしからん」となりますが、キャバクラ嬢から聞くと「がんばってるね」となる。 なるほどと。 ですので、色んな立場で普段あまりコミュニケーションをとっていない人のコンテキストをスナック青井で見つけてもらえればと思います。 ... 続きを読む

鈴木商店のIT部門設立時の話 vol.3 ~フューチャー~

2018年02月24日

代表の鈴木史郎です。 朝会で話している内容を一部公開していきます。 今日はしらヤンからリクエストのあった、 「鈴木商店のIT部門設立時の話 第3段、フューチャー」 についてお話したいと思います。 (シリーズ第1段「スイッチ」はこちら) (シリーズ第2段「就職活動」はこちら) なんとか第一志望のフューチャーに入社することが出来たんですが、 既卒ということで、前倒しで海外採用の研修もあるよと勧められました。 少しでも早く学びたいを思っていた私には願ったり叶ったりです。 それで海外採用枠での研修に参加することになったのですが、 海外で過ごしてきた人たちです。濃いんですw 僕もどちらかと言えば濃いので、めっちゃ楽しく過ごすことができました。 研修初日、始めの講義が「LANケーブルの組み立て」 えっ? コンサルってもっと、戦略がどうのとかじゃないの? フューチャーシステムコンサルティング。。。 フューチャー「システム」コンサルティング。。。 「システム」って入ってるやん!!w コンサルティング会社に入社するつもりが、システム会社に就職することになりましたw これが私とシステムとの出会いです。 でも、真っさらな僕には、何でも吸収の場です。 大阪では鈴木商店が待っています。 吸収できるものは何でも吸収するぞ。 それがフューチャーにとっても貢献になるはずだ。 そんな意気込みで仕事に励みました。 でも何もできることはありません。 そこで決めたのが「誰よりも長時間働く」。 今ではありえませんよね。 親父が元気なのが2年間ということだったのですが、 結局4年間修行させていただくことができました。 様々な成功体験を頂きました。 ホントにいい会社でした。 鈴木商店が大きくなったら何らかの関わりを持たせていただきたいと企んでいます。 ここで親父の体調悪化の知らせを受けて、大阪に帰ることになります。 いよいよ、システム事業部の立ち上げです! つづく ... 続きを読む

鈴木商店のIT部門設立時の話 vol.2 ~就職活動~

2018年02月24日

代表の鈴木史郎です。 朝会で話している内容を一部公開していきます。 今日はしらヤンからリクエストのあった、 「鈴木商店のIT部門設立時の話 第2段、就職活動」 についてお話したいと思います。 (シリーズ第1段「スイッチ」はこちら) 印刷卸業で限界を感じていたので、何か新しく事業展開できる業種は何かな。 という観点で就職活動をしていました。 とはいえ、業界のことを色々調べたり、日経新聞を読み漁ったりしましたが、 正直よくわかんない。 であれば、つぶしがきく基礎能力となるような業種にしようと。 で、なんとなくコンサルティング業界ってかっこよくない? ということで、コンサルティング業界にしぼって就職活動を行いました。 アンダーセン(現アクセンチュア)、デロイト、プライスウォーターなどなど。 そこで、最終的にお世話になるフューチャーシステムコンサルティング(現フューチャーアーキテクト) という会社と出会うわけです。 決め手は、企業説明会での金丸社長のプレゼンでした。 「なんなん、この人!めっちゃカッコええ!よくわからんけどw」 それで、フューチャーを第一志望として、採用試験に挑みました。 1次、2次面接をなんとか通過し、いよいよ最終プレゼンです。 しかし、 ・上場したてで狭き門 ・一浪、ワーホリで1年遅れ、既卒 ・学生時代これと言ったことはなにもしていない という状態で、普通に挑んでも受かりっこない。 で考えた戦略が、キワモノ採用狙い。 当時フューチャーは上場したてのイケイケな会社でしたので、 相手の物差しで測れない戦法にでると、ノリで取ってくれるのでは、とw そこで、「鈴木ロボットを売りに来ました。」という、 ロボットに扮したプレゼンをして、見事、内定を勝ち取りましたw しかしよく採用してくれたもんだなと今でも不思議に思いますw このノリがこれからも鈴木商店のコアでありたいと思いますw で、フューチャーで働くことになるわけですが色々あるわけです。。。 つづく ... 続きを読む

鈴木商店のIT部門設立時の話 vol.1 ~スイッチ~

2018年02月22日

代表の鈴木史郎です。 朝会で話している内容を一部公開していきます。 今日は、しらやん からリクエストのあった、 「鈴木商店のIT部門設立時の話」 についてお話したいと思います。 ちょっと長くなりそうなんでシリーズ物にしますね。 今日は「スイッチ」についてお話させてもらいます。 「お父さん、癌なったから帰っておいで」 1998年、大学を休学して、オーストラリアでワーホリ中の俺にお袋から一本の電話がありました。 この電話をキッカケに大学入学以来、特に目的もなくフラフラと遊んでいた俺は、大学に通いながら鈴木商店で働くことになりました。 従業員はお袋と親父、あと配達の赤帽さんの3名です。 当時の鈴木商店は、印刷材料の卸でした。 街の印刷工場にインキとか一斗缶とかを届ける仕事をしていました。 「黒のインキは、だれが届けても黒」 学生時代に何の力もつけていなかった俺にはこの事業を伸ばすことができるはずもなく、 限界を感じつつ、ただなんとなく配達を続ける日々でした。 周りの同級生たちは、就職活動をはじめ将来の夢とか語り始めるわけです。 「あれっ、ちょっと俺ヤバイかも。」 と薄々気付きながらも親父が入退院くりかえしていたので、就職できずにそのまま卒業することになりました。 そんなとき何気に配達の軽トラのダッシュボードを開けると、見たことのない白い紙が見えたんで、 奥の方から取り出してみたら大人用のオムツだったんですよね。 親父は大腸がんだったんですが、オムツ履いて配達してたんです。 ガツーーーーン!!!! ハンマーで殴られたような衝撃でした。 仕事ってココまでやるもんだよなと。 ここまでやって大学に通わせてもらっているのに、なんにも考えずに遊びほうけていた自分にめちゃくちゃ後悔しました。 でも今の状態から抜け出せない。。。 そんなとき親父が急に元気になったんで、病院の先生に聞いたら「2年ぐらいは大丈夫じゃないかな」と。 チャンス、キターーーーーー!! 親父に相談して就職することに理解してもらい、いざシステム業界に飛び込むことになります。 あのオムツがまちがいなく俺の人生のスイッチでした。 つづく ... 続きを読む